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ベートーヴェンとカントの美学(説明)


昨日、ブログと同じ記事(ベートーヴェンとカントの美学)をFBにアップしたところ、「何の話やねん」というコメントをいくつかもらったので、簡単に説明させてもらいます(笑)ただ、単に授業を休みたいためだけにパパッと書いたレポートなので、裏付けが全くない。ごめんね~☆

1.自然美と芸術美


「美」には、自然(例:風景)と、それを証明する人(例:画家=芸術家)があって、どっちが上かという問題を、古代ギリシャの時代から哲学者や研究者は未だにあ~だこ~だ言ってます。

(1) カントとヘーゲル
ドイツの哲学者カントは、「自然が上だ」と言う人です。理由は、芸術には商売のための邪心があるから。それに対して同じくドイツの哲学者ヘーゲルは、「芸術が上だ」と言っています。理由は、自然は単にそこにあるだけなので、美を証明するためには人の力が必要だから。

(2) カントとシラー
ドイツの詩人シラーは、カントを崇拝しています。カントを研究し、人間の内から溢れる情動(自由で自然な精神)を尊重しました。

2.シラーと第九の魅力


そんなシラーの詩を、ドイツの作曲家ベートーベンは交響曲に使いました。第九は、第1・第2・第3楽章それぞれに素晴らしい音楽なのですが、第4楽章ではそれを簡単なメロディで打ち消して、最後はシラーの詩をもとにした大合唱で終わる構成になっています。

3.2つのベートーヴェン像


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(1) ロマン・ロランのベートーヴェン像
哲学的で重厚な曲を作るベートーヴェンには、「難聴を克服し苦悩しながら素晴らしい曲をいくつも作曲した神様のような人」という世界的なイメージがあります。ベートーヴェンと神格化し広めたのは、フランスの理想主義者ロマン・ロランです。

(2) 滝本裕造のベートーヴェン像
ところが、それに意を唱えた人物がいます。音楽美学学者で京都ベートーヴェン研究所所長の滝本裕造は、「ベートーベンは偉大だ。でも普通の人である」とし、ベートーヴェンの人間らしさを著書にしました(偉大なるベートーヴェンの詳細はこちら(発売中)
 
(3) ロランと滝本の共通点
ロランも滝本も、ベートーヴェンを偉大だと認めている点は共通しているのです。ただ、ロランはベートーヴェンを神格化して民衆に崇め奉らせようとし、滝本はベートーヴェンの人間臭さをアピールすることで、「普通の人だけどやっぱりベートーヴェンは凄い」と思わせようとした。
どちらも方法は違いますが、ベートーヴェンを愛していることに相違ありません。

4.日本人とベートーヴェン


 (1) 日本人と第九
「1万人の第九」に代表されるように、ベートーヴェンの曲のなかでも第九はもっとも日本人に親しまれています。

 (2) 日本人とベートーヴェン像
なお、ほとんどの日本人は、ロランのベートーヴェン像を信じています。その理由は、ロランと滝本の知名度の差もありますが、私は日本人の特性に関係していると思っています。

日本人は、苦労して名声を手に入れる人が好きです。耳を患い、貧乏暮らしの中で苦しみながら作曲するベートーヴェンの方が、耳を患ってても別荘をもっててお手伝いさんに世話されながら作曲してるより応援したくなるんですよね(笑)

おわりに


(ここからは完全に私の妄想です 笑}実はカントは美の対象として音楽を認めず、音楽家は最下位に設定していました。美の最高位は詩人です。だから詩人のシラーはカントが好きなのでしょう。

先に書いたように、ベートーヴェンの第九は、楽器演奏を打ち消してシラーの詩の合唱で締めくくられます。これは、楽器演奏(芸術美)より合唱=人の声(自然美)が優位だと言う、カントの思想そのものだと思います。

うまいこと考えたと思いませんか?ベートーヴェンは、カントやシラーの自然美を有意とする美学哲学を巧みに使って、カントが認めなかった音楽でそれを証明したのです。誰も傷つけず・批判せずに最高の形で思想を表現したのです。すばらしいったらありゃしない☆

で、こういうことを思いつく人間は、苦悩の人では無理です。それは長い間主婦をやってた私にはよくわかる。意表を突くアイデアは、いつも遊びから出てくる。遊び人の柔軟な思考能力が必要だ。

そういう意味で、ロランのベートーヴェン像はおかしい。私は滝本のベートーヴェン像がより真意に近いと判断したのですが、いかがでしょうか?


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