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老猫を看取ること⑥番外編

逝く日の写真を見て想うこと

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きゅうちゃんが逝って3日が経った。彼と過ごした17年間の歴史は思った以上に長く、しみついた習慣はいつのまにか日常のなかに定着していた。散在する彼の痕跡は、見ないふりをしても、心がしっかりそれを見ている。

彼は私に、色々教えてくれた。敵と味方は本能で見わけること、運命に流されて生きることがもっとも自由な生き方であること、何もせずにそばにいることが最高の癒しであること、そして猫の我慢強さ、気品、可愛さ。猫の生き方は実に哲学的だ。

そんな彼が、自分の死期を知らないはずがない。余命がいくばくもないと知った日に、私が道路で瀕死の子猫を見つけたことは、偶然ではないだろう。わざと出会うように、仕向けたのじゃないか?自分がいなくなったあと、私がひどく悲しまないように。

未明に亡くなる猫は、自分が死んでも明日がくることを飼い主に教えるためだと聞いた。彼の思惑通り、彼の死後しばらくして陽はまた昇り、子猫は今、私の膝で眠っている。私の日常は、何もかわらない。彼がいないことをのぞけば。

賢明な彼は、計画通り物事が滞りなく終わったことで満足しているだろう。けれども彼は知っているだろうか。チビ猫を抱いて、私がずっと泣き続けていることを。。



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