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はぁちゃんと過ごした日々と最期の5日間

ここはピアノブログですが、今日はうちの猫のことを書かせてください。主役は昨日亡くなった「はぁちゃん(茶トラ・♂)」です。

出逢い


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2018年6月、夫が会社から汚れた茶トラを連れて帰ってきた。
頭に穴があき、まわりの毛が大きく抜けていた。
また、左足にも同様の穴が開き、ひどく腫れていた。
左目は目ヤニで閉じられたままだった。

夫は「ハゲ夫」という不名誉な名前をつけた。
可哀想なので、私が「はぁちゃん」に、改名した。

はぁちゃんは初対面なのに、コロンとひっくり返ってお腹をみせた。
お腹は急所なのに、触らせてくれる。
何だかおかしな猫だった。

性格


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その後はぁちゃんは、お腹を触らせてくれるけれど、自分からは人間に近づこうとすらしないことがわかった。呼んでも来ないし、近づくと逃げる。

ただ、人間とは一定の距離を取っているけれど、
先住猫には自分から身体をあてていき、しっかり挨拶をしていた。
その世渡りのうまさから、先住猫とはすぐに打ち解けた。

はじめての病院


血液検査では猫白血病と猫エイズは陰性だったが、お腹に回虫いたため、虫下しを飲ませた。年齢は4~5歳ぐらいということだった。

また、頭と足の怪我は、「猫同士の喧嘩ではなく、意図的につけられたもの」というのが、獣医の診断だった。獣医はあえて「虐待」という言葉を使わなかったが、猫に意図的に傷をつけることができるのは人間しかいない。
これではぁちゃんは「虐待された猫」であることがわかった。

病院から帰ると、何だかとても元気がない。
でも、次の日にはご飯を食べ出したので、あまり気にしなかった
まだこの時は、はぁちゃんの病気に気づかなかった。

潜在的な病名が判明した


しばらくして、はぁちゃんを去勢することにした。午前中に病院に連れていき、予定通りだと夕方に迎えに行くことになっていた。

ところが昼過ぎに病院から「ひどい貧血ため、手術ができない」と電話があった。家を出るときにはそんな様子は少しもなかったのに。
慌てて迎えに行ったら、はぁちゃんはあきらかに具合が悪そうに箱座りをしていた。

1か月後、また去勢にいったが、この時も同じように、手術前の検査で具合が悪くなり、キャンセルになった。

その時、先生からはじめて「猫ヘモプラズマ感染症の疑いがある」といわれた。猫ヘモプラズマ感染症は、ストレスで強度の貧血を引き起こす病気で、根本的な治療法がない。

先生から「通院がストレスになっているようです。とにかくストレスを与えないように生活をさせてください」と言われ、ぐったりとしたはぁちゃんを家に連れて帰った。
通院を嫌がる猫は多いけれど、生命に危険を及ぼすほどのストレスになる病気があるとは知らなかった。
はぁちゃんの去勢は諦めた。

自由な日々


それからはぁちゃんは、自由な毎日を過ごすことになった。
これまでは、はぁちゃんが外に出たがっても、室内飼いにするために阻止してきた。でも、朝と夕方の2回だけは庭になら出てもいいことにした。

はぁちゃんのお気に入りは、「雨水の溜まったバケツの水を飲むこと」と、「桜の木の爪とぎ」である。
はぁちゃんは庭に出ると、いつもそれをした。

頭の穴はいつのまにか綺麗にふさがれた。足の麻痺は少し残ったが、左目は半分だけ開くようになった。

外に出たい時、家に入りたい時、どちらもはぁちゃんは、びっくるするほど大きな声で鳴いた。私はこの声を、ずっと聴けると思っていた。
つい最近までは・・・。

通院開始


3月初め、はぁちゃんがご飯を食べにくそうにしていることに気づいた。
食べたそうにするけれど、食べられないようなのだ。
フードを代えたり、食べる場所を代えたりした。
他の飼い主と同じように、私ははぁちゃんの食事で一喜一憂した。

しかし、まったく食べなくなったため、ついに病院に行かざるを得なくなった。
はぁちゃんを病院に連れていくと、そのまま死んでしまうかもしれない。
それでも病院にいった。

病院では、輸液(皮下点滴)と抗生物質を投与してもらった。
ただ、口の中は、嫌がって触らせなかった。
先生にむかって唸るはぁちゃん。あんなに怒るはぁちゃんを見たのは、はじめてだった。体温は34度。先生は「状態は良くない」といった。

これまでの経験だと、輸液で猫は元気になる。
しかしはぁちゃんには、まったく効果がみられなかった。
シリンジ(注射器)で与える強制給餌の高カロリーミルクも嫌がった。

先生は、「毎日輸液で通院するように」と言った。

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シリンジと高カロリーミルク


新しい病名と最期の5日間


■4月4日(土)
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外は暖かく、とてもいいお天気だった。輸液から帰ってぐったりしながらも、はぁちゃんは「庭に出して」と鳴いた。
ふらつきながら庭に下りると、お気に入りの雨水の溜まったバケツの水を飲んだ。
でもやっぱり、飲みにくそうだった。

■4月5日(日)
輸液を終えて家に帰ると、庭の桜の木の下でおしっこをした。
そして家の前の水たまりまで、ゆっくり歩いた。
それが、はぁちゃんが外を歩いた最後だった。

■4月6日(月)
相変わらず輸液の効果がみられない。
強制給餌での高カロリーミルクもとても苦しそうだ。

先生は「FIP(伝染性腹膜炎)を併発しているようだ」と言った。
FIPは、進行が早く致死率100%の恐ろしい病気だ。猫ヘモプラズマ感染症が引き起こしたと考えられた。

それを聞いて私は、もう痛いことと嫌がることはしたくないと考えた。
そして、「通院を辞め、強制給餌をしない」と決心した。
これは、死にゆく愛猫を何もせずに見届けることになる。
とても辛い選択だった。

その夜はぁちゃんは「はぁっ、はぁっ」と苦しい息遣いでふらふらしながらトイレまで歩いていった。
しかしその後はもうトイレまでいけず、縁側や仏壇の前でおしっこをした。
そして次第に歩けなくなった。

私ははぁちゃんを抱いて、庭の桜を見に行った。
抱き上げたはぁちゃんのあまりの軽さに驚き、涙が出た。
小さくなったはぁちゃんの顔を、春の風がなぜる。
お日様がまぶしいのか、はぁちゃんは、目をパチパチさせた。

■4月7日(火)
はぁちゃんは、意識が混濁し、よく眠るようになった。
水を飲んでいないのに、大量のおしっこが出る。
そのたびにシーツを代えて、身体を蒸したタオルでふいた。
1度だけ突然起きて吐く真似をした。でも何も出てこない。

私は、またはぁちゃんを抱いて庭の桜を見に行った。
でも、もう何も見えないようだ。
それでも「はぁちゃん」と呼ぶと、小さい声で鳴いてくれた。

■4月8日(水)
時々ピクピク動くだけで、ずっと寝ている。
綿に水をしみこませて口を湿らせた。
もう、名前を呼んでも、しっぽをふって返事をしてくれなくなった。

15時半 首を動かして、鳴こうとする。
でも、声が出ない。

抱き上げて、はぁちゃんの可愛いところ、賢いところをいっぱい伝えた。お礼を言って、また必ず逢おうと約束した。

はぁちゃんは私の腕の中で3回ほど深呼吸したあと、ホッと息を吐いてそれっきり動かなくなった。

2020年4月8日 15時半 はぁちゃん永眠

まとめ


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はぁちゃんの最期は、とても安らかだった。身体の中の水分を全部出しきって枯れるように死ぬことは、楽な死に方なのかもしれない。

食べないと死んでしまう・・普通はそう思う。しかし「食べないから死ぬのではなく、死ぬから食べないのだ」という言葉もある。私はそちらが正解だと感じた。

はぁちゃんは、虐待された猫だった。うちで暮らしたのは、たった1年9カ月である。それでも、先住猫に愛され、自由に生きた。はぁちゃんは「産まれてきてよかった」と思ってくれているだろうか。今はそれだけがとても気になる。

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