クリ(3歳・♂)の調子がよくありません。
何だか元気がないな・・と気づいたのは1週間前。
食べる量が減って、1日中眠っています。
春に同じような状態では~ちゃん(5歳ぐらい・♂)を亡くしたので、とても嫌な予感がします。
ただ、は~ちゃんは急激に状態が悪くなったので、一般的な検査しかできませんでした。だから死因は不明でした。
クリは幸い、検査ができました。
獣医は「おそらく膵炎でしょう」と言いました。
ただ、断定ではありません。膵炎は診断が難しいようです。
毎日病院で輸液・痛み止め・抗生物質を注射しています。
検査費用も含め、医療費はすでに10万円を超えました。
おかげでクリは少し動くようになりました。
でも相変わらず食欲がなく、微熱も下がりません。
クリも、死んでしまうのかな。。。
不安でしようがない。心がおれそうです。
クリは、病気のは~ちゃんのそばにずっといて見守ってくれた、
とても優しいねこです。
よくなってほしい。
それだけが、私の願いです。
以前も書きましたが、うちには、お庭ネコがいます。名前は「たぬきち」。今日は、「たぬきち」の冬用ハウスの作り方を書きます。
冬用ハウスの作り方
【準備するもの】
・衣装ケース…上が蓋で開けられるもの(掃除をしやすくするため)
・保温アルミシートとプチプチ(細かくてしっかりしたもの)
これらはダイソーで手に入ります
・その他
古くなった座布団2枚、フリース、いらない毛布
ハサミ、カッター、両面テープ
【作り方】
1.衣装ケースの横に、猫が出入りできる穴をあける
とても固いですが、カッターで切り込みを入れてでっかいハサミで切ると楽に切れます。
2.両面テープでプチプチを貼る
3.その上に保温アルミシートを貼る
4.座布団をおく
5.フリースを入れる(たたまずにふわっとおくのがポイント)
6.
蓋の内側に座布団を両面テープで張り付ける(ハウスの上も温かくするため)
7.蓋をしめて毛布を巻いたらできあがり
爆睡する「たぬきち
ハウスのまわり
暖冬とはいえ、日本の冬は寒い。できればハウスの周りも冷たい風から守ってあげてください。
材料は、ビニールのテーブルクロス4枚、カーテンレール、カーテン留め金具、ハトメ、ビニールひも(以上ダイソー)
ラティス、釣りのおもり3個
【作り方】
1.ビニールのテーブルクロスを2枚ずつつないで、大きいビニールシートを2枚作る
(前面用と側面用)
(前面)
2.シート1枚にカーテン留め金具をつけ、カーテンレールに通して上から吊る
3.シートの下3カ所にハトメで穴をあけ、釣りのおもりをつける(シートが風で飛ばないようにするため)
4.左端もハトメで穴を数か所あけ、ビニールひもで雨どいにくくりつける
(側面)
5.ラティスの裏側にビニールシートを貼りつける
(私は端材を使ってネジで固定しましたが、ホッチキスでも可)
春秋はこんな感じです。
暖かい季節はビニールをはずしています 雨の日は前のビニールで雨よけをしています
真夏はこんな感じ(ハウスに入らない 笑)
このように季節を通じて「たぬきち」は、自由に好きなところに寝ます
おわりに
「たぬきち」の行動範囲は、うちの家のまわりです。朝日とともに起き、ご飯を食べて散歩をし、庭の虫を追いかけ、昼寝をして一日を過ごしています。
自由に生きる「たぬきち」は、幸せそうです。
ただ、外猫は家ネコより事故や病気になる危険性が高く、寿命は3~5年と言われています。「たぬきち」をはじめ、街には可哀そうな猫がたくさんいます。皆さんも猫を見かけたら、どうか優しくしてあげてください。お願いいたします。
うちには3匹は家ネコと、1匹のお庭ネコがいます。今日は、それぞれが暮らしやすいように色々作ったので、それを紹介します。
家ネコ用「屋外スペース」
一日中家にいるねこさんに、少しでも外の雰囲気を感じてもらおうと、「屋外スペース」を作りました。
使用材料は、ビニールパイプ(コーナン)とワイヤーパネル(ダイソー)。
ねこさんが外に出ないように、頑丈に作りました。
勝手口に開閉自在の扉をつけて、そこから出入りします。
屋外スペースには、丸太をおきました。爪とぎや上に乗って遊ぶためです。
お庭ネコ「ビニールハウス」
外のねこさんには、防寒用のビニールハウスを作りました。
使用材料は、ラティス(コーナン)とビニールテーブルクロス(ダイソー)
風が入らないように、はじっこをハトメでしっかり留めています。
寝床は、衣装ケースの中に防寒用アルミと保温プチプチを敷き詰め、寝床ごと毛布でくるんでいます。
以上、手作り感満載ですが、安くて快適なスペースができました☆
先月末から、新しいねこさんがうちにきてくれています。
このねこさんは、
公益財団法人アニマルトラストからきてくれました。
アニマルトラストは、600頭以上の犬猫が暮らす孤児院です。大阪府能勢町の山の中にあり、車がないといけない不便なところです。そこで、ウニちゃんと出会いました。
ウニちゃんは2016年生まれの4歳のオス猫で、多頭崩壊から救出された猫だそうです。生まれてから一度もゲージからでたことがなかったため、運動能力に障がいがあるとききました。ほかにも耳と目に軽い病気があります。
ウニちゃんは、うちに来て「ピーちゃん」になりました。
食欲旺盛で、よくたべ、よく寝ます。
名前を呼ぶと「にゃ~」と鳴いてくれるし、座ると膝にちょこんと乗ってきてくれます。
お気に入りは、電動で動く羽根のおもちゃ。
昨日は、先住猫のスガちゃん(2歳・♀)から強烈な猫パンチを食らって、泣き寝入りしました。
いつの世も、女は強い。頑張れ、ピーちゃん☆
はぁちゃん(茶トラ・♂)が逝って10日経ちました。
過去記事⇒
はぁちゃんと過ごした日々と最期の5日間
大雨が降って、はぁちゃんが飲んでた「雨水をためたバケツ」には、新しい水が溜まり、爪を研いでいた「桜の木」は、散り始めました。少しずつ、日常が変わってきました。
今日は、庭のお墓に遺骨を埋葬しました。はぁちゃんが大好きな桜の木の下です。ここには、これまで一緒に暮らした猫も入っています。
猫の遺骨は、焼くと黒くなった箇所で、生前に悪かったところがわかります。埋葬する時は、苦しかったところは早く土に還すため、黒くなった骨を先に入れます。次に他の骨を入れて、頭は一番後に入れます。
お墓は、ピアノレッスン室からよく見えます。埋葬が終わってから、ゴルドベルク変奏曲のAirを弾きました。この曲は、悲しいお別れがあったときに弾くことにしています。
ここはピアノブログですが、今日はうちの猫のことを書かせてください。主役は昨日亡くなった「はぁちゃん(茶トラ・♂)」です。
出逢い
2018年6月、夫が会社から汚れた茶トラを連れて帰ってきた。
頭に穴があき、まわりの毛が大きく抜けていた。
また、左足にも同様の穴が開き、ひどく腫れていた。
左目は目ヤニで閉じられたままだった。
夫は「ハゲ夫」という不名誉な名前をつけた。
可哀想なので、私が「はぁちゃん」に、改名した。
はぁちゃんは初対面なのに、コロンとひっくり返ってお腹をみせた。
お腹は急所なのに、触らせてくれる。
何だかおかしな猫だった。
性格
その後はぁちゃんは、お腹を触らせてくれるけれど、自分からは人間に近づこうとすらしないことがわかった。呼んでも来ないし、近づくと逃げる。
ただ、人間とは一定の距離を取っているけれど、
先住猫には自分から身体をあてていき、しっかり挨拶をしていた。
その世渡りのうまさから、先住猫とはすぐに打ち解けた。
はじめての病院
血液検査では猫白血病と猫エイズは陰性だったが、お腹に回虫いたため、虫下しを飲ませた。年齢は4~5歳ぐらいということだった。
また、頭と足の怪我は、「猫同士の喧嘩ではなく、意図的につけられたもの」というのが、獣医の診断だった。獣医はあえて「虐待」という言葉を使わなかったが、猫に意図的に傷をつけることができるのは人間しかいない。
これではぁちゃんは「虐待された猫」であることがわかった。
病院から帰ると、何だかとても元気がない。
でも、次の日にはご飯を食べ出したので、あまり気にしなかった
まだこの時は、はぁちゃんの病気に気づかなかった。
潜在的な病名が判明した
しばらくして、はぁちゃんを去勢することにした。午前中に病院に連れていき、予定通りだと夕方に迎えに行くことになっていた。
ところが昼過ぎに病院から「ひどい貧血ため、手術ができない」と電話があった。家を出るときにはそんな様子は少しもなかったのに。
慌てて迎えに行ったら、はぁちゃんはあきらかに具合が悪そうに箱座りをしていた。
1か月後、また去勢にいったが、この時も同じように、手術前の検査で具合が悪くなり、キャンセルになった。
その時、先生からはじめて
「猫ヘモプラズマ感染症の疑いがある」といわれた。猫ヘモプラズマ感染症は、ストレスで強度の貧血を引き起こす病気で、根本的な治療法がない。
先生から「通院がストレスになっているようです。とにかくストレスを与えないように生活をさせてください」と言われ、ぐったりとしたはぁちゃんを家に連れて帰った。
通院を嫌がる猫は多いけれど、生命に危険を及ぼすほどのストレスになる病気があるとは知らなかった。
はぁちゃんの去勢は諦めた。
自由な日々
それからはぁちゃんは、自由な毎日を過ごすことになった。
これまでは、はぁちゃんが外に出たがっても、室内飼いにするために阻止してきた。でも、朝と夕方の2回だけは庭になら出てもいいことにした。
はぁちゃんのお気に入りは、「雨水の溜まったバケツの水を飲むこと」と、「桜の木の爪とぎ」である。
はぁちゃんは庭に出ると、いつもそれをした。
頭の穴はいつのまにか綺麗にふさがれた。足の麻痺は少し残ったが、左目は半分だけ開くようになった。
外に出たい時、家に入りたい時、どちらもはぁちゃんは、びっくるするほど大きな声で鳴いた。私はこの声を、ずっと聴けると思っていた。
つい最近までは・・・。
通院開始
3月初め、はぁちゃんがご飯を食べにくそうにしていることに気づいた。
食べたそうにするけれど、食べられないようなのだ。
フードを代えたり、食べる場所を代えたりした。
他の飼い主と同じように、私ははぁちゃんの食事で一喜一憂した。
しかし、まったく食べなくなったため、ついに病院に行かざるを得なくなった。
はぁちゃんを病院に連れていくと、そのまま死んでしまうかもしれない。
それでも病院にいった。
病院では、輸液(皮下点滴)と抗生物質を投与してもらった。
ただ、口の中は、嫌がって触らせなかった。
先生にむかって唸るはぁちゃん。あんなに怒るはぁちゃんを見たのは、はじめてだった。体温は34度。先生は「状態は良くない」といった。
これまでの経験だと、輸液で猫は元気になる。
しかしはぁちゃんには、まったく効果がみられなかった。
シリンジ(注射器)で与える強制給餌の高カロリーミルクも嫌がった。
先生は、「毎日輸液で通院するように」と言った。
シリンジと高カロリーミルク
新しい病名と最期の5日間
■4月4日(土)
外は暖かく、とてもいいお天気だった。輸液から帰ってぐったりしながらも、はぁちゃんは「庭に出して」と鳴いた。
ふらつきながら庭に下りると、お気に入りの雨水の溜まったバケツの水を飲んだ。
でもやっぱり、飲みにくそうだった。
■4月5日(日)
輸液を終えて家に帰ると、庭の桜の木の下でおしっこをした。
そして家の前の水たまりまで、ゆっくり歩いた。
それが、はぁちゃんが外を歩いた最後だった。
■4月6日(月)
相変わらず輸液の効果がみられない。
強制給餌での高カロリーミルクもとても苦しそうだ。
先生は
「FIP(伝染性腹膜炎)を併発しているようだ」と言った。
FIPは、進行が早く致死率100%の恐ろしい病気だ。猫ヘモプラズマ感染症が引き起こしたと考えられた。
それを聞いて私は、もう痛いことと嫌がることはしたくないと考えた。
そして、「通院を辞め、強制給餌をしない」と決心した。
これは、死にゆく愛猫を何もせずに見届けることになる。
とても辛い選択だった。
その夜はぁちゃんは「はぁっ、はぁっ」と苦しい息遣いでふらふらしながらトイレまで歩いていった。
しかしその後はもうトイレまでいけず、縁側や仏壇の前でおしっこをした。
そして次第に歩けなくなった。
私ははぁちゃんを抱いて、庭の桜を見に行った。
抱き上げたはぁちゃんのあまりの軽さに驚き、涙が出た。
小さくなったはぁちゃんの顔を、春の風がなぜる。
お日様がまぶしいのか、はぁちゃんは、目をパチパチさせた。
■4月7日(火)
はぁちゃんは、意識が混濁し、よく眠るようになった。
水を飲んでいないのに、大量のおしっこが出る。
そのたびにシーツを代えて、身体を蒸したタオルでふいた。
1度だけ突然起きて吐く真似をした。でも何も出てこない。
私は、またはぁちゃんを抱いて庭の桜を見に行った。
でも、もう何も見えないようだ。
それでも「はぁちゃん」と呼ぶと、小さい声で鳴いてくれた。
■4月8日(水)
時々ピクピク動くだけで、ずっと寝ている。
綿に水をしみこませて口を湿らせた。
もう、名前を呼んでも、しっぽをふって返事をしてくれなくなった。
15時半 首を動かして、鳴こうとする。
でも、声が出ない。
抱き上げて、はぁちゃんの可愛いところ、賢いところをいっぱい伝えた。お礼を言って、また必ず逢おうと約束した。
はぁちゃんは私の腕の中で3回ほど深呼吸したあと、ホッと息を吐いてそれっきり動かなくなった。
2020年4月8日 15時半 はぁちゃん永眠
まとめ
はぁちゃんの最期は、とても安らかだった。身体の中の水分を全部出しきって枯れるように死ぬことは、楽な死に方なのかもしれない。
食べないと死んでしまう・・普通はそう思う。しかし「食べないから死ぬのではなく、死ぬから食べないのだ」という言葉もある。私はそちらが正解だと感じた。
はぁちゃんは、虐待された猫だった。うちで暮らしたのは、たった1年9カ月である。それでも、先住猫に愛され、自由に生きた。はぁちゃんは「産まれてきてよかった」と思ってくれているだろうか。今はそれだけがとても気になる。
すがちゃん(6カ月):前庭斜頸障がいがあります
【閑話休題】
昨夜、やっと投稿小論文ができました。今から投函してきます。
入賞したら、めっちゃ嬉しいです!
すがちゃん、退院しました!心配してくださった方、ありがとうございました!
病院では、「暴れてしようがありません。きっと脳障害でしょう」と言われていたのですが、家に帰ってエリザベスカラーを取って、手術後着に着替えさせたら、ご飯を食べて超リラックスしています。
たぶん、狭いケージとエリザベスカラーが嫌だったのでしょう。
もう大丈夫です!(^^)!
今日は、すがちゃんの避妊手術の日です。朝10時にすがちゃんを病院に連れて行きました。前庭斜頸障がいのあるすがちゃんの手述は、リスクが考えられます。
でも、感染症のため去勢手術ができないはぁちゃん(♂)がいるため、子猫を増やさないためにも避妊手術が必要なのです。「よろしくお願いします」といい、先生にすがちゃんを預けて家に帰りました。
13時頃に術前検査の結果の電話がかかってきました。血液検査の結果は問題なく、先生も多分大丈夫でしょうとのことでした。ところが、14時前に「すがちゃんが麻酔から覚めません。自発呼吸が止まりました」と、病院から電話がありました。
あわてて飛んでいったら、すがちゃんには呼吸器が取り付けられていました。
「すがちゃん!すがちゃん!」と呼んでも、反応がありません。先生が、「少しだけ反応があるのです」そう言って、「体勢を変えます」と、すがちゃんの身体の向きを変えた途端、「ぎゃあ!」とすがちゃんがとびあがりました。さっきまで閉じていた目もしっかりと開いています。
ほんとうにびっくりしました。すがちゃんが生きかえりました。その後、ICUに移り、すがちゃんは元気になりました。
薬箱を整理してたら、昨年秋に☆になったきゅうちゃん(茶トラ猫)のお薬がでてきた。日付は2018年9月21日。命の期限を覚悟した日。
昨日、きゅうちゃんにそっくりな雲を見つけた。思いっきり自転車でおいかけたけど、追いつけない。でも、猫雲はじっとこっちを見ている。
きゅうちゃんが空から見ていてくれる。嬉しくて、ちょっと泣けた。でも、ほんとうは空じゃなくて、私のところに戻ってきてほしい。そう思うと、涙が止まらなくなった。
はぁちゃんが、さっき帰ってきました!何事もなかったようにご飯を食べてふつ~にしています(笑)
安心しました!心配してくださった方、ありがとうございました☆
はあちゃんがいなくなりました。何度も同じところを探しました。警察と保健所と動物病院にも連絡しました。でも、連絡がありません。ことの経緯を書きます。
1月21日
はあちゃんを検査に連れていく。夏に予防注射をしたときに具合が悪くなったので、去勢手術の前に1度検査をしておこうと思って。
1月23日
検査結果は、とくに問題がないとのことだった。26日に去勢手術の予約を入れる。
1月24日
餌を大量に吐く。声をかけると元気に鳴く。食べ過ぎたのだと思い、頭をなぜて寝させる
1月25日
麻酔をするため今日の夜中12時以降は絶食なので、今のうちに好きなものを食べさせようとするが、食欲がない。心配になるが、明日は去勢のために病院に行くので、その時に先生に相談することにした
1月26日(朝)
再度、検査をする。はあちゃんは月曜日より400gも軽くなっていた。検査の結果、肝機能の数値が悪く、点滴をしてもらう。去勢手術は中止となる。先生からは、猫ヘモプラズマ感染症の疑いがあるので検査をさせてほしいと言われる
【猫ヘモプラズマ感染症】
ダニに刺されることや、猫同士のケンカなどで感染すると考えられているが、原因はよくわからない。ストレスが軽減すると症状が歩くなるが、ストレスがかかると発症する。完全な完治は難しい
先生は、「もともとノラ猫なので、去勢のために家に閉じ込めたことがストレスになったのかも知れません」と言った。
(帰宅後)
ぐったりしている。部屋を暖めて寝かせた。もらった薬を飲まそうとしたが、嫌がって吐いてしまう。水も飲んだが、すべて吐く。
(夕方)
突然はあちゃんが、「外に出たい」と言った。外は寒いので躊躇したが、先生から「外に出さないことがストレスになる」と聞いていたので、思い切って外に出した。はあちゃんは、ゆっくりと出て行った。
27日
いつも2~3時間で帰るはあちゃんですが、朝になっても戻らなかった。どこか近くでうずくまってるんじゃないかと思い、探したけれどみつからない。雪が降って来た。
28日
はぁちゃんは帰らない。ご飯を食べていないし、この寒さです。私は、もうはあちゃんは死んでるのではないかと思った。大声で呼びながら探したけれど、見つからない
29日(朝)
何で外に出しちゃったのだろう・・後悔ばかりしています。自分を責めています。責めても、はぁちゃんは帰ってこない。
29日夜
市役所にゴミとして猫の死骸の情報がないか聞きに行く。涙で何度も言葉に詰まったけれど、役所は真剣に話をきいてくれた。報告があったら連絡してくれるらしい。
警察に遺失物届をしにいった。警官が「首輪をしていたら見つかりますよ」と言ってくれた。なぐさめてくれているんだろう。その言葉を聞いて、嬉しくなった。
動物病院に、チラシを貼ってもらうようにお願いした。もし病気で動けなかったり怪我をしてる人が、病院に連れて行ってくれるかもしれないと思って。病院は、快く引き受けてくれた
町内の回覧板に回してくれるように、町会長に頼みに行く。「三上さんは猫が大好きね」と言われて、うなずいたら涙がでた。近所の魚屋さんも、チラシを貼ってくれた。この魚やさんは、保護猫活動をしている。
優しい人がいっぱいだった
老猫きゅうちゃんが逝って2ヵ月。先日やっときゅうちゃんが最期にいた部屋に入ることができました。季節がすっかり秋から冬に変わっていて、まるで知らない部屋のように感じました。
何をするでもなく部屋の真ん中に立っていたら、クリがきました。1歳半で遊びたい盛りなのに、元気がありません。そういえば、廊下を走り回っていたクリを、最近は見ていません。あきらかにきゅうちゃんが逝ってから元気がない。
そっか・・クリも寂しかったんだ。私は自分のことばかりで、クリのことを考えていなかった。。そう思うと、クリがとても可哀想になりました。
私は人間だから、悲しいと言えるし涙を流して泣くことができます。でも、猫は我慢するしかありません。たぶんクリは、私以上に我慢してたのだと思う。
クリに、「悲しんでばかりいたらきゅうちゃんが悲しむよね。一緒に元気に頑張って行こう」と言いました。すると、自分で言った言葉なのに、私がちょっと元気になりました。クリは、グルグルと喉を鳴らしながら、私の言葉を聞いていました。
昨日、久々に廊下でねこじゃらしで遊ぶクリを見ました。以前と変わらないクリを見て、少しほっとしました。
クリは、私の言葉がわかったんじゃなくて、心がわかったのだと思います。
1ヶ月前に突然、首が曲がって歩けなくなったすがちゃん(サビ猫:4ヵ月)です。
すぐに医者に行き、注射や抗生物質や新薬を試しましたが、元に戻りません。ただ、動き回れるようにはなりました。やんちゃです(笑)
獣医の話では、脳内の神経障害か内耳腫瘍の疑いがあるとのことでした。ただ、検査をするにはあまりにも小さすぎてリスクがあるということです。
私は、ムリをしない看護をすることに決めました。もしすがちゃんの命が思ったより短くても、長く生きたにゃんこと同じぐらい濃くて深い愛情で接します。運命に逆らわずしなやかに生きるのが、猫の生き方なので。
ほんと、猫の生き方は哲学そのものです。
メリークリスマス☆
今日は、クリのことを書きます。これが、拾ったときの写真です。クリーニング店の前で拾ったので、「クリ」と名付けました。クリの左目の状態はあまりよくありません。インターフェロンの入った目薬やサプリメントをしても効果がありませんでした。
これは去年の写真です。クリはきゅうちゃんにいつも遊んでもらっていました。でも、クリが大きくなって力が強くなるのと反比例して、きゅうちゃんは歳をとっていきました。
これは、きゅうちゃんの亡骸をみているクリです。クリは、何度もきゅうちゃんが眠っている箱をかきました。そしてきゅうちゃんの顔を叩いて、何度も起こそうとしました。それをみて私も泣きました。それからずっと、クリは元気がありません。私も元気がありません。
でも、今日、偶然読んでた漫画に、素敵な言葉が書いてありました。
『今日あなたが無駄に過ごした一日は、昨日死んだ人がどうしても生きたかった一日である』
愛猫がいなくなったことを嘆くことは無駄ではないけれど、建設的だとは言えない。きゅうちゃんの写真に話しかける時間を、クリやすがちゃんをなぜる時間にしよう・・少し、そう思えるようになりました。
最後に、いま私がカラオケで歌っている曲を紹介します。ユーミンが愛犬を失った時に作った古い曲です。
歌詞はこちら
一昨日、突然首が曲がり、歩けなくなったすがちゃん(サビ猫3カ月)のその後です。すがちゃんは、3日間も痛い注射を頑張りました。でも、残念ながら、今日の獣医のみたてでは、とくに改善がみられないとのこと。注射は今日でおしまいになりました。明日から内服薬で様子をみます。
首は右に曲がったままですが、ご飯もよく食べるし、家のなかを元気に走り回れるようになりました。曲がった首を先住猫のクリの背中にあてて、甘えています。
すがちゃんは、とっても可愛くて賢い猫です。みんなに愛されています。すがちゃんはまだ小さい。諦めるわけにはいきません。私も頑張ります!
11月10日に愛猫きゅうちゃんは、遠くに逝ってしまいました。なお、私はきゅうちゃんが逝く少し前に、瀕死の子猫(サビ)を拾いました。たぶん子猫は、自分がいなくなってひどく悲しまないように、きゅうちゃんが私に逢わせてくれたのだと考えていました。
サビ猫は「すがちゃん」と名付けました。富田林の須賀で拾ったからです。すがちゃんは、とっても賢くて、やんちゃな可愛い女の子です。
これがきゅうちゃんとすがちゃんの写真です。この写真を撮った日の明け方に、きゅうちゃんは逝ってしまったので、最初で最後の2ショット写真になりました。
すがちゃんは、先住猫「クリ」(ハチワレ:1歳)や、は~ちゃん(茶トラ:推定3歳)に可愛がってもらって、すくすく大きくなっていきました。3匹を見ていると、私はとても癒されました。
ところが、その子猫が夕方、突然まっすぐに歩けなくなりました。脳神経になんらかの障がいがおこっているかもしれないとのことです。
しかし獣医は、「生後3カ月での全身麻酔によるMRI検査はリスクが大きく、原因がわかったところで、必ず治癒するとは限らない。今日から4日間、抗生物質を注射と飲み薬で投与します。でも効き目がないなら、覚悟する必要もあります」と言いました。
20日前にあんなに悲しい想いをしてきゅうちゃんを見送ったのに、また子猫を見送ることになるかも知れないと思うと、私の心は折れてしまいました。
動画を撮りました。見てね~☆
逝く日の写真を見て想うこと
きゅうちゃんが逝って3日が経った。彼と過ごした17年間の歴史は思った以上に長く、しみついた習慣はいつのまにか日常のなかに定着していた。散在する彼の痕跡は、見ないふりをしても、心がしっかりそれを見ている。
彼は私に、色々教えてくれた。敵と味方は本能で見わけること、運命に流されて生きることがもっとも自由な生き方であること、何もせずにそばにいることが最高の癒しであること、そして猫の我慢強さ、気品、可愛さ。猫の生き方は実に哲学的だ。
そんな彼が、自分の死期を知らないはずがない。余命がいくばくもないと知った日に、私が道路で瀕死の子猫を見つけたことは、偶然ではないだろう。わざと出会うように、仕向けたのじゃないか?自分がいなくなったあと、私がひどく悲しまないように。
未明に亡くなる猫は、自分が死んでも明日がくることを飼い主に教えるためだと聞いた。彼の思惑通り、彼の死後しばらくして陽はまた昇り、子猫は今、私の膝で眠っている。私の日常は、何もかわらない。彼がいないことをのぞけば。
賢明な彼は、計画通り物事が滞りなく終わったことで満足しているだろう。けれども彼は知っているだろうか。チビ猫を抱いて、私がずっと泣き続けていることを。。
深夜から未明にかけて
亡くなる7時間前、ふと目をけるときゅうちゃんがじっとこっちを見ていたので「おいで」と呼んでみました。するときゅううちゃんはふらつきながら私のそばにきて、肩をちょんちょんと叩きました。これは「布団に入れて」という合図です。
布団のなかできゅうちゃんはグルグルと喉を鳴らしました。この音を聴くと私はとても落ちつくのです。きゅうちゃんに「ありがとう」と言いました。
次にきゅうちゃんは、玄関に向かいました。玄関をあけるとよろよろと前の空き地にはいっていきました。ここはきゅうちゃんのお気に入りの場所です。くんくんと臭いをかいで地面に横になりました。雨が降ってきたので、私はきゅうちゃんを家に連れて帰りました。夜中の1時半のことです。
それからきゅうちゃんは、部屋のあちこちで横になりました。身体が落ち着くところを探しているようです。暖かい場所と冷たい場所を交互に移動します。
部屋には、ホットカーペットが敷いてある暖かい場所と、冷却マットが敷いてある冷たい場所を用意しました。猫は死期が近づくと、猫は体力温存のため冷たい場所から動かなくなるからです。
きゅうちゃんが冷却マットから動かなくなったので、私は窓を開け放ち、部屋全体を冷たくしました。するときゅうちゃんは気持ちよさそうに横になり、静かに目を閉じました。旦那が身体を優しくなぜています。
そして5時半にきゅうちゃんは、とびきりのカッコいい声で3回ほど鳴き、それっきり動かなくなりました。見事な最期でした。私は大きな声で「きゅうちゃん、ありがとう」と言いました。私の看取りが終わった瞬間でした。
何もしない「老猫の看取り」について
輸液通院をしない、強制給餌もしない、ただそばにいて声をかけ、好物のマグロやパウチを与えて見守るだけの介護が、果たしてよかったかどうかは、きゅうちゃんに聞いてみないとわかりません。でも、あまり苦しまず眠るような最期でした。
終末期医療の現場の医師の見解は、「何もしなければ楽に死ねる」というものだそうです。猫も人間もいよいよ最期が近づいたら何もしない方が楽なのかも知れません。
言い伝え
猫は死ぬ時に、飼い主の不幸をもっていくと言われています。未明に死ぬことが多いのは、自分が死んでも朝日は昇ることを、飼い主に教えてくれるのだとも言われています。この話が本当かどうかはわかりません。でも飼い主は、この言葉に救われます。
でも、でも本当は、もっと長く生きていて欲しかった。寂しくて寂しくてしようがありません。家の中には、きゅうちゃんが使っていた食器や、食べかけのフード、寝ていたお布団などそのままなのです。今でも横にきゅうちゃんがいる気がします。
きゅうちゃんは、さっき煙になって天に上り、小さな遺骨になって帰ってきました。今日はとてもいいお天気です。
大好きなきゅうちゃん一昨日の夜からきゅうちゃんは、食べ物を受け付けなくなりました。大好きなマグロも、色んなパウチを開けて口の前にもっていっても、ぷいっと口をそむけてしまう。お別れの時が一気に近づきました。
ストレスになる通院はしない・延命はしない。そう決めた時から、こうなることは覚悟はしていました。それで今日は、仕事を休んできゅうちゃんと丸一日過ごすことにしました。
午前中は、きゅうちゃんを庭に連れて行きました。きゅうちゃんは、弟の「おーちゃん(享年14才)」や、先輩猫「ラン(享年12歳)」、可愛がっていた「ドロ(享年3歳)」の遺骨が眠る庭のお墓の前に横たわりました。
お墓にむかって「きゅうちゃんが苦しまないように逝かせてね」とお願いをしました。またきゅうちゃんには、頭をなぜながら「ありがとね」と何度も言いました。涙が何度も流れました。
でもきゅうちゃんは、知らん顔をしていました。きっと、「なるようにしかならんよ。やれることはやったんだから、ムリしないで自然にしていればいい」と思ってるのでしょう(笑)
その後私は、庭石に座って新聞を読んでいました。部屋の中では、「クリ(1歳)」と「すがちゃん(2カ月)」がじゃれています。
私たちの秋の1日が、静かに流れて行きます。
前回、きゅうちゃんは歯肉炎だと思う・・と書いていましたが、病院でみてもらったところ、歯肉炎ではありませんでした。口の中は綺麗ということで、歯石だけとってもらいました。
それよりきゅうちゃんは、病院にいけば具合が悪くなる猫のようです。病院までの道のりで、ずっと「お~ん、お~ん」と鳴いていました。診察台に乗ってからも、きゅうちゃんはずっと震えていましたし、キャリーの中で、やっぱりおもらしをしました。
私は先生に、延命治療はしないこと、病院に来ることがストレスになることを告げました。また、「きゅうちゃんは優しい子なので、楽に逝けるように・・それだけを願っています」と言いました。
先生は輸液をしながら、「そっか、きゅうちゃんは優しい子なんですね」そういって、頭をなぜてくれました。私はそれをみて涙が出ました。
歯石の除去と輸液のおかげで、少し食欲が戻ったようです。今朝は、パウチとマグロをけっこう食べました。いつまでこの元気が続くかわかりませんが、私ときゅうちゃんの闘病は、11月を迎えました。
腎不全末期のきゅうちゃんのその後です。
先週末、きゅうちゃんの口から血がでているのを発見しました。どうやら、歯肉炎のようです。猫の歯肉炎はよくあることで、全身麻酔で歯を抜きます。
でも、きゅうちゃんのような1高齢猫は、麻酔にリスクがありますし、歯を抜かなくても、すでに歯のほとんどを失っています。
それでも治療をしたほうがいい。ただ、きゅうちゃんは病院に行くととても緊張していつもおもらしをするし、目をカッと見開いて小刻みに震えています。嫌がるきゅうちゃんを病院に連れていって、痛い検査をする必要があるのかは、悩むところです。
月曜日に私だけ病院に行って、歯の抗生物質がもらえないか、先生に頼んでみることにしました。
終末期医療の先駆者はみな、「何もしないこと。それが一番楽に死ねる方法だ」と口をそろえていいます。余命いくばくもないなら、慣れ親しんだ家で、家族とともに暮らしながら最期を迎えたい。人間がそうなら猫も同じでしょう。
きゅうちゃんはもう、大好きなササミも食べなくなりました。マグロはまだ食べられるので、毎日お魚屋さんでマグロを買っています。
ご飯は、私の手から食べます。きゅうちゃんが食べてる時に私は、いつも今日の出来事を話します。食べ終ったら、私の横で眠ります。私はそっと頭と身体をなぜます。最期まで一緒にいます。一緒に苦しみます。
昨日、通勤途中のゴミ置き場の前で、鳴いている子猫を見つけました。生後1ヶ月ぐらいで、目があいていません。
うちはいま、愛猫きゅうちゃん(17歳)が、末期の腎不全で、虹の橋を渡ろうとしています。残り少ない日を静かに過ごしたい・・でも、ほっとけない。結局、連れて帰りました。
それでさっそく、2匹合わせてみました。きゅうちゃんは、今まで数匹の子猫を育ててくれた優しい猫です。でも今回はさすがに迷惑そうでした。
今日(14日)は、進学塾の日曜特訓でした。また、午後からはブルーノ・レオナルド・ゲルバーのピアノリサイタルでした。(コンサートの感想は、また後日書きます)私は、「きゅうちゃんと子猫が気になるので、第1部だけで帰ります」と、一緒にいた生徒さんに告げて帰って」きました。
すると、その生徒さんから「いま、コンサートが終わりました。今からそちらに行ってもいいですか?」とラインがありました。彼女は、保護猫活動をされている女性です。もちろんOKしました。
数時間後に、彼女はきました。それで、「先生はきゅうちゃんを看取ってください。私がちび猫を連れて帰って、しばらく育てます」と言ってくれました。本当に助かりました。彼女に感謝・感謝です☆
きゅうちゃんはもう、ご飯を食べなくなりました。缶詰もちゅ~るも嫌がります。かろうじてマグロは食べてくれます。でも、それも時間の問題でしょう。でも、生徒さんにチビ猫を預かってもらったので、これでしばらくまた、きゅうちゃんとゆっくりお別れをすることができるようになりました。
9月20日の夜、うちのきゅうちゃん(17歳:♂)が、突然私の腕の中で激しく痙攣しました。あわてて名前を呼んで身体をさすりました(あとでネットで調べたら、これはしてはいけないらしい)
次の朝、病院にきゅうちゃんを連れていきました。きゅうちゃんは病院が嫌いなので、緊張してキャリーバックのなかでおもらしをしてしましました。
検査の結果、きゅうちゃんは腎不全でした。猫の腎不全は、高齢猫ではよくあることで、それは死の宣告です。私は今まで何度か腎不全で愛猫を亡くした経験があります。食べられなくなったら、輸液(点滴)をしますが、延命処置にすぎません。猫は痩せて小さくなって、虹の橋に逝ってしまいます。
17歳は、人間で言うと84歳。いつお別れがきても不思議ではありません。私は残された短い時間を、できるだけたくさん、きゅうちゃんと過ごすことにしました。
あれから20日経ちました。きゅうちゃんのキラキラと輝いていた金色の目は、すでに白く濁って、まったく見えなくなりました。それでも名前を呼ぶと、小さな声で返事をしてくれるし、なでるとグルグルと喉を鳴らしてくれます。耳はちゃんと聴こえているようです。
ご飯は、少しずつ小分けにすると、食べてくれています。いつ食べられなくなるかわからないので、毎回ドキドキしながら。
また、夜中に何度も起きて、徘徊することもあります。そのときは、私も一緒に徘徊します(笑)大きな声で鳴くときは、ぎゅっと抱きしめます。
いま、きゅうちゃんは私の隣で眠っています。2018年の秋、私ときゅうちゃんの時間は静かに流れていきます。17年間を振り返りながら。
ピアノの練習ができない・・・
顔が洗えない・・・
外出できない・・・
一番最後の写真は、ハゲ男(後ろにあるバケツで水を飲んでる猫)が連れてきた友達。タヌキに似てるから「たぬきち」と命名しました。
もうちょっと慣れたら、うちの子にします!(^^)!
こんにちは!今日は、うちのニャンズを紹介します。
Q太郎(きゅうちゃん)
右がきゅうちゃん
性別:♂
年齢:17歳(人間だと84歳)
出逢い:ペットショップの前に、兄弟猫(O次郎)とともに捨てられてた。虐待の痕あり。3年前にO次郎は虹の橋へ。
名前の由来:おばけのQ太郎からとった。
性格:今まで怒ったことが一度もない、とっても優しいにゃん。
クリ
左は出逢った時のクリ。右は今のクリ
性別:♂
年齢:1歳(人間だと20歳)
出逢い:クリーニング屋さんの前で拾った。左目に疾患あり。
名前の由来:クリーニング屋さんで拾ったから
性格:やんちゃで物をすぐ壊す。言う事を聞かない
あたまハゲ夫(はーちゃん)
性別:♂
年齢:3歳ぐらい
出逢い:頭を怪我している猫を保護した(左足にも麻痺がある)
名前の由来:頭がハゲてるからハゲ夫
性格:とっても人懐っこくて優しい。すぐにお腹を見せてごろごろする
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なぜかカメラ目線のはーちゃんとクリ。
ハゲは治りました(笑)
全員なんらかの問題を抱えていますが、人間だって完璧な人間はいないのだから、猫も完璧なことはない。それぞれ適当に生きています!(^^)!
頭にいたずらをされて毛がなくなってしまい、なぜか左足が動かないニャンコを保護しました。
昨日新入りさんをゲージに入れたのですが、先住猫で老猫の(きゅうちゃん17歳)と去年クリーニング屋の前で拾った若猫(クリ1歳)が、まわりを取り囲んでめっちゃ怒る。初対面の様子では、あまりよい印象はなかったようです。
それで、ラティスの扉を作って、縁側を囲んで、そこに新入りを入れました。タワーもあるのでのびのびとできます。
わかりにくいけど、タワーの箱のなかで新入りは寝ています。
新入り猫の名前は「は~ちゃん」に決まりました。昨夜は凄い声で鳴いて、大変でしたが、今夜はどうかな~☆
獣医さんに電話して、検査を予約しました。来週早々にいってきます。
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